本サイトは『磐代・真鍮』について、ぺずえるが個人的に情報をまとめたまとめていく予定のホームページになります。『ルートエデン』公式及び『トミーウォーカー』公式とは一切関係ありません。
資料
登場人物
磐代・真鍮 |
申楽の名門、磐代家の後嗣として養子に迎えられた男性。二〇二三年に起こった磐代家と古妖絡みの事件により肉体を喪失し、以後幽霊となっている。
本サイトの物語は、主に彼が語り手を務める。 |
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母親 |
真鍮の生みの親。本名は中原・紗代。
真鍮が語る「母」は大抵彼女のことを指す。 |
『 過日 』
走馬灯にしては、酷く悪趣味だった。あの光景に対する未練が、浅ましくも、わたくしの魂を現世に囚えてしまったのだろうと、この身を怨むほどには。
能く憶えている。眠れぬ夜に幾度となく反芻しては、その度に忘れたいと願った記憶だ。よもや死際でさえ、死後でさえ尚忘れられぬとは。一生どころか奈落の果てまでわたくしについてまわる心算かと。胸の裡を嗤えれば、振り払えれば、どれほどよかっただろう。──馬鹿みたいだ。棄てられた記憶を、後生大事に秘めているのはわたくしの方であるのに。
「よかったわね。これからは、ここでお世話になるのよ。」
小三の夏休み、まだ七月のことだった。夕立の降るなか、わたくしを迎えに来たと思っていた母親が、そう言ったのは。
母の用事、あるいは休息のためにわたくしが、主に母方の祖父母のもとに、預けられることは珍しくなかった。だからこのとき、いつもとは違い、聞いたこともなかった磐代の家とやらに連れて行かれたこともその延長のようなものだと思って、勝手に得心していたのだ。それが間違いだった。
二の句がつげないでいるうちに、母はランドセルを私に差し出してきた。ずっしりと重い。きっと教科書やノート、ドリルが余さず入っているのだろう。わたくしが二度と、あの家に戻らなくてもいいように。車の中から、萎びたホウセンカの鉢──学校の授業の一環で、わたくしが育てていた──が出てくるに至っては、もはや疑いようもなかった。
「……枯れかけてる。お母さん、水あげなかったの?」
本当はホウセンカのことよりも聞きたいことがあったのに。結局、後のやりとりも含めて、わたくしが母に尋ねたのはそれだけだった。今思えば、むしろそれでよかったのかもしれない。
「忘れてて。植物だし、三日くらい大丈夫でしょ。せっかく持ってきたんだから。ちゃんと日記をつけて面倒をみるのよ。」
わたくしが惨めになるだけだ。母にしてみれば、どちらも同じ、面倒なものに変わりはなかったのだから。
心に温度などなかったのだと、気づいてしまったのもこのときだった。
人などみなぬくい。それはひとえに体温のためであって、心などは、微塵も関係なかったのだ。その母のぬくもりを、わたくしはずっと、愛と取り違えていた。あるいは心の奥底では、どこか理解していたのかもしれない。だからこそ、物質的なあたたかさに縋っていたのか。あの日の別れの前、門の下で──今更。抱擁を求めてきた母を、わたくしは拒むことができなかった。
すこし雨に濡れていたが、当然のように、母はあたたかかった。軀の、心の底まで冷めきってしまったかのようなわたくしでさえ、あたたかかったのだろう。
さながら、頬をつたった泪のように。
『 果日 』
離別した母親への、蓊鬱たる執着。磐代・真鍮は、自らが幽霊となった理由をそう結論づけ、短く嘆息した。
山間に溶ける呼吸を、もし耳にしたものがいたとするならば。それは空に煌々と在る月くらいのものだろう。 すべてを覆い匿してしまうような、しずかな、しずかな夜であった。
もっとも、それはあくまで真鍮を現世へと留めた未練でしかなく、ましてや死因などでは決してなかった。
あの日の別れから、今日、命日に至るまで。およそ一〇年の時が流れている。振り返れば一瞬かもしれない。けれど、八歳の子どもが一端の成人になれるだけの歳月。同年代の子と比べても小柄だった背丈も、もう随分とたかくなった。
真鍮は特段、生への慈しみが深いわけではない。仮に生きていたかったかと問われれば、一笑に付すだろう。それでも、常に自らの裡を喰らわんとする死への欲動に、抗うだけのものは持ち合わせていた。
それは自らが、時の用に足りる自負。求められたことに対する返報と言ってもよいのかもしれない。
磐代の家は、結果として、真鍮を母を引き離しはしたが。真鍮に多くのものを与えたのもまた、磐代の家だった。
月並みの──いや、月を望んだかのような、過ぎた暮らし──生に意味のある人生とは、得てして幸福なものだ。無為に捨て置かれ、顧みられることがないよりもずうと。
真鍮はさほど神仏をあてにしているわけではなかったが、こと芸の道における己の才能、その一点においては、天の寵愛を覚えずにはいられなかった。同時に、驕りでしかないとも感じたが。
とにかく、このような真鍮自身の在様が、自らの才覚を支えたことは疑うべくもなかった。
申楽の歴史は故く、国の不穏を憂いた時の上宮太子が、神代に倣い、秦河勝に六十六番の物真似を奉納させたことに由来する。
天下を治め、鎮めるもの。これこそが神楽より「申」を分たれし、申楽の興りである。
天の御眼鏡に叶う上で、まず立つべきものは芸であり、私心などではない。芸能とは、諸人の幸福に仕するもの。舞手の虚栄などは、それに資するべくもない。
……大層な御題目であった。今となっては、なんの慰めにもなりはしない。ただ、賽の河原で石を積んでいただけの、それだけの話だった。
くつくつと震える喉元を両の手で押さえ、緩く首を振る。このまま縊り殺してしまえばどうかと、ふと眼窩の裏を過った衝動に意味はない。
なにより、死んでこの様だ。
此の世に地獄があるとするならば、それは人の世に他ならない。そう云ったのは誰であったか。いや、仮に此処が楽園 であったとしても。寄り辺なき、無為の魂として彷徨うことなど、わたくしには到底怺えられなかっただろう。
これが、過ぎし日の果ての結実であるならば。
逃げ場など、もう何処にもありはしない。
更新履歴
'25.05.01 | 資料 登場人物 公開 |
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'25.04.29 | 資料『果日』公開 |
'25.03.27 | サイト公開
資料『過日』公開 |